3月11日。
服の整理をし、ブログをアップし、ようやくごはんを作り夫を起こしました。
「うわーもう、2時44分だよ」
夫が言いました。
二人で苦笑いしながら、できたばかりの炒飯をリビングに運び、テレビをつけました。
NHKでは国会中継。
一口食べたところで、埼玉の我が家も揺れ始めました。
揺れが徐々に激しくなり、テレビは緊急ニュースに切り替わる。
慌てて二人でテレビをおさえていましたが、パニックになりアナウンサーの声が聞こえない。
そうこうしてるとキッチンからパリンパリンという音が。
立ち上がり見に行こうとした私に夫が「行くな。行くな!」と強い声。
ほんの数分前までいたキッチン。さっきまで火力最大で中華鍋をふっていた。
横にあった植木鉢が倒れるもなにもできない。
どうしていいのかわからずキョロキョロする私に夫が力強く「動くな」と言ってくれた。
夫が休みでよかった。
揺れが落ち着き始めたところでやっとアナウンサーの声が聞こえるようになった。
急いで窓を開けベランダに出ると、隣の部屋の人たちも出ていた。すれ違うときに挨拶をするだけお付き合いしかないけれど、老夫婦二人の姿にほっとする。
「大丈夫でしたか?」「大丈夫。そちらは?」
そんな言葉のやり取りだけでもほっとする。
ふと窓の下を見ると向かいの家のブロック塀が崩れ、何軒か屋根瓦が壊れていた。
震源から遠く離れたこの街でもこんなに被害が出るなんて……。
余震に怯え、キッチンの片付けを始めたのは揺れてから2時間が過ぎた頃だった。
被害にあわれた方々や救助活動されている方々のことを思うと居ても立ってもいられません。
ですが、今現在できることは節電への協力と祈ることだけです。
単なる一市民の私に、今できる事は少ない。
でも、何もできないと自分を責めるのはやめよう。
1ヶ月後も2ヵ月後も1年後もずっとずっと被災者の方々の非日常は続いていく。
日常が戻る日まで、できる事はたくさんある。
どうかひとりでも多くの方が無事でありますように。
そして、どうかひとりでも多くの方が自分のできる事に気付いてくれますように。
旧ブログで公開した記事を再掲しました。