「あなたはほんと、のんびりしてるわね」と母に言われて、
とてもショックだったことがあります。
母の期待に応えようと必死にがんばっていたのに。
「のんびり」と言われてしまったのです。
そうか、私は「のんびり」なんだ。
じゃあ、もっともっとがんばって急がないとダメなんだ……。
でも、
これ以上どう急げばいいんだろう……(´・ω・`)
私が小学生の時の出来事です。
この頃から『他人の評価を真に受け過ぎる』という、よくないパターンにどっぷりはまり、落ち込む癖がついていたんですね。
現在は、よくないパターンにはまり込みそうになったら、次のようなことをしています。
これらをやることで、気持ちが落ち着くようになり・物事の見方が多角的になってきました。
参考になる方がいらっしゃるかもしれませんので、紹介します。
他人に振り回されかけた時にすること3つ
主語と動詞をハッキリとさせる
私の母が言った。
「あなたはほんと、のんびりしてるわね」
私はその言葉を聞いてショックを感じた。
『母の期待に応えようと必死にがんばっていたのに』
英訳するのが一番手っ取り早いです。
英語が苦手な人ほどうまくいきます。
私も苦手ですので、英訳するとこんな感じ。
My mother said .
「あなたはほんと、のんびりしてるわね」
I felt a shock その言葉を聞いて
『母の期待に応えようと必死にがんばっていたのに』
「私+動詞」「I+動詞」の部分を吟味する
私はショックを感じた。
ここを吟味します。
なぜショックを感じたのか、です。
思いつく限りリストアップします。
- がんばってることを認めて欲しかった
- 褒められたかったのに褒められなかった
- のんびりでもいいよと言って欲しかった
これはつまり、私が次のような前提で物事を見ているということ。
- がんばれば認めてもらえる
- 要望に応えたら褒めてもらえる
- 私はのんびりしている
- 母は子を全肯定すべきだ
見直す
母に「あなたはほんと、のんびりしてるわね」と言われて、すぐに、
そうか、私は「のんびり」なんだと受け入れたのは、
私自身も「私は『のんびり』」と思っていたから。
母の言葉は意識するキッカケにすぎない。
ショックを感じたのは、母に対する期待が私にあったから。
「結果だけでなく、がんばりという経過も評価して欲しい」
「母は子を全肯定すべきなんじゃないの?」
その後どうしたか
小学生の時はただひたすらショックでした。
中学~二十歳の時はただひたすら母を責めていました。
今の時代に二十歳だったら「お母さんは毒母だよ!」と罵っていたと思います。
成人してからですね。
自分の中に母に対する期待があると気付いたのは。
「結果だけでなく、がんばりという経過も評価して欲しい」と素直に伝えました。
現在の私は、
母は「がんばりという経過ではなく、結果で評価したい」タイプの人なんだな~
と思うだけです。
結果で評価したいタイプの人に、経過も評価しろ!と要求するのは好きではありません。
私は私のままでいたいし、母にも母親という役割ではなく彼女自身のままでいて欲しい。
それがたとえ、「母親だから」にがんじがらめに縛られて不自由な思いをすることであっても。
自分らしさを選ぶのはその人自身だから。
見方を変えられるようになったキッカケはディマティーニ博士の正負の法則 一瞬で人生の答えが見つかるを読んだこと。
良いことと悪いことはセットになっている。
良いだけのことも悪いだけのこともこの世には存在しない。
全部必要。
みんな必要。
歯ぎしりしたくなるような不快な人物も。
耳をふさぎたくなるようなニュースも。
目を覆いたくなるような惨劇も。
全部必要で、みんな必要。
だから、排除できない。
なくすことはできない。
ならば、
不快なものからは遠ざかり
心地良いものには近付き
どちらかわからないものは観察する。
そうするうちに、
母は母なりに私の期待に応えようとがんばってくれていたんだ。
と感じ取れるようになりました。
(お母さん、ありがとう)
というのが、2015年11月現在の私です。