以前「オオノさんは哲学者だ」というコメントをいただいたのがきっかけで、哲学の本に手を伸ばし始めております。
「だよねだよねー」と言いたくなるような本もあれば、「何を言いたんだ???」とチンプンカンプンな本も。
海外の哲学者の本ばかり読んでいたのですが、日本の哲学者をと読んでみたのがこの中島義道さん。
おもしろかったw
彼の本を読んで「私は死ぬことは怖くない。生きていくことが怖いのだ」と自覚したし、ごにょごにょとAがBだからCの場合はDをEして……って考えをこねくりまわして力説する奴はうざいのだなと己を客観視できたし。
とはいえまるまる1つのテーマで書かれている本はちとしんどかった。その点、この本は語録集なのでいろんなテーマについて読めます。
特に気に入ったのはここ。
幸福になろうとすること、それは自分自身を選ぶことを断念することである。
自分自身を選ぶこと、それは自分自身の不幸の「かたち」を選ぶことである。
こだわりを捨てることができず、幸福ではない。
そんな人達と接することが仕事でもプライベートでも多いです。
私自身、こだわりを捨てて幸福に至る道を選べばいいのにと、わざわざしんどい方を選択するたび自分の頑なさが嫌になります。
「なんでなんだよ」とやさぐれることもしょっちゅうありました。
これからは解釈を書き換えます。
幸福ではなく自分自身を選ぶ。
自分自身とは何か、それがどこかにころがっているわけではない。「そのままのあなたでいいの」という甘いささやきが表すような容易なものでもない。それは、各人が生涯をかけて見いだすものだ。しかも、それはあなたの過去の体験のうちからしか、とりわけあなたが「現におこなったこと」のうちからしか姿を表さない。とくに、思い出すだけでも脂汗が出るようなこと、こころの歴史から消してしまいたいようなこと、それらを正面から見すえるのでないかぎり、現出しない。(パウロの棘のように)あなたを突き刺すあなた固有の真実を覆い隠すのでないかぎり、見えてこない。幸福は、こういう事をすべて考えないようにすることによって成立している。だから、あなたは自分自身を手に入れようとするなら、幸福を追求してはならない。あなた固有の不幸を生きつづけなければならない。
私はずっと自分自身を選ぶことは幸福なんだと思ってたんだよねー。
確かに、個人としては幸福なんだけれど、社会的な幸福を得られているかっつーと、全然ないのよね、これがw
あ、全然は言いすぎた。夫婦関係は……あ、社会的には……う……ノーコメントw
話を戻そう。
自分自身を選ぶこと、自分の気持ちを尊重すること、自分に嘘をつかないことというのは幸福なんだと思ってた。
でも、そうね、確かに社会的な幸福と結びつかないこともたくさんあるね。
社会的な幸福は広がって増えて共有できる、個人的な幸福は内へ内へと収束し核になる。
さびしくなったらこだわりを捨て社会的な幸福を。
むなしくなったら自分自身を選び個人的な幸福を。
のらりくらりと生き伸びる。
そういうものにわたしはなりたい。
いや、しかし、哲学の本いいですね。
毒を以て毒を制す!
これからも考えるのが嫌になったら哲学の本を読もうと思います。
コメント
やっぱりね~、オオノさんは哲学書を読める人でした(*^^*)
夫は哲学書の読める人ですが、私は読めません。ページの終わりぐらいになると、最初に書いてあったことが分からなくなるのです。
門前の小僧で私が知った哲学者でオオノさんへお勧めしたいのは池田晶子さん。池田さんの生き方は私とは違うけれど、哲学書を読めない私にも、共感する部分もいっぱいあります。
>やまざくらさん
わ!ありがとうございます!(‘∀’*)
私も読んでる端から忘れていきますのでちゃんと読めているかどうか……。
哲学科卒でドイツ留学までした友人がいるのですが、彼の言っている事も理解できませんし(笑)
池田晶子さんの本、とってもおもしろそうですね!
読書欲が刺激されまくりです。
さっそく明日図書館で借りてきます。
ありがとうございました。