片付け本ではないかな?と思いつつも、カテゴリー「片付け本の感想」に入れました。
部屋は心をうつす鏡。
こう言い切られると「本当にそうなのか?」と反発したくなるが、私自身には当てはまる言葉だ。
実家汚部屋時代は病んでいた。
アル中になりかけたし、カフェイン中毒。
ワーカホリック、ギャンブル依存、ネット依存。
恋愛依存に共依存。
物質依存・プロセス依存・関係依存。一通り経験した。
ワーカホリックの時は、買い物依存症気味にもなった。
買っただけで満足し、封も開けない服がいくつも部屋のどこかにあった。
その時買った服は一枚も手元にない。
一番、歯止めがきかなかったのはギャンブル依存だった。
どのくらいひどかったかというと、パチンコ屋の店長に「お嬢さん、ほどほどにしなさいね」と止められるくらい。
でも、自分でコントロールできたら依存症じゃない。
もうダメだ。自分一人ではどうしようもない。誰か助けて!というところで、依存症の自助グループ、ギャンブラーズ・アノニマスの存在を知る。
連絡先を携帯に登録し「次やったらここに連絡すること」と決め、お守りがわりにしていた。
その決まりごとは当然守れなかったが、自助グループという存在を知る前よりは我慢ができるようになった。
会合で唱和するというラインホルド・ニーバーの祈りの言葉も支えになった。(後述)
ぎりぎりのところで一人、なんとか踏みとどまっていた状態から抜けだせたのは、インターネットのおかげだった。
「おかげ」というと少し語弊がある。
平日は夜中の3時4時、休日は起きてる時間ほぼ全てをネットで費やしていた。
ようは、ギャンブルからネットへ、依存の対象が変わっただけだ。
本質は変わっていない。
でも。
ネット依存はお金がかからない。
ギャンブルでは1時間も遊べない金額で1ヶ月遊べる。
転機だった。
肉体。精神。人間関係。生活。
これらを破壊するものほど刺激が強い。それなしにはいられなくなる。
恐ろしいことに、刺激にはすぐ慣れてしまい、もっともっととエスカレートしていく。
ふと思った。
どうせ依存してしまうなら、もっと安全なもの複数に依存してみようか。
一点集中だから、禁断症状がつらくなる。どうにもならなくなる。
自責と自己嫌悪にかきむしられる。
忙しい彼氏に不安になる子にはなんてアドバイスする?
「彼のことばかり考えないで、いろんな事に興味を持てば?」なんて言うじゃないか。
夜中の3時4時までネットをしていると、寝付きも悪く、仕事に支障をきたす。
寝なくちゃ寝なくちゃと思ったって、いくら失敗して後悔したって、ネットをやめることはできない。
だから、ネットは2時までとし、それ以降は読書することにした。
今度はベッドに入って本を開かないと眠れないようになったり、大量の本が部屋にあふれるようになったが、朝起きられるようになった。
禁断症状を我慢するのではなく、他のもので散らす。
1つにのめり込むから依存症になる。
10になれば、それはもう依存症じゃない。
単なる多趣味な人だ。
本質を変えなくても、表面に出ているものが変われば、環境は優しいものになる。
環境が優しくなれば、楽になり、思考はほぐれる。
自分を責めることばかりだったのが、自分も他人も責めるようになり、そのうち自分も他人も許せるようになった。
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まったく本の感想を書いてませんね💦
この本を読んで思い出したことを書いてみたら長くなっちゃった。
あ、部屋は心をうつす鏡。という言葉はこの本の中には出てきません。
依存症とはどういうものか。
その根っこにある、AC(機能不全家庭の子供)とは、ADHDとはなにか。
が書かれている本です。入門書のような感じ。
依存症・AC・ADHDの1つずつでも何冊も書けるところをまとめて1冊ですからね。
こういう心理学の本は久しぶりに読みました。
こういう、というのは〇〇とはどういうものか・そしてそれはなぜ起きるのか・解決するには、という本。
一時期読みあさってました。
(ADHDの本は最近)
でも、「普通」の範囲内で踏みとどまれた私には、読んでもどうしようもなかった。
病院に行くほどの問題はなかった。
思い返してみると、専門家が見ればわかる「異常」はあったが、それもおかしな癖程度のもの。
「普通」に生活できる。
裏に無力感や虚無感を抱えていても、自己評価は最低でも、ぎりぎりのところで踏みとどまれる。
ただ生きづらかっただけ。
そんな弱い動機で、母に「カウンセリング行きたいの」なんて言えるようなら病んでない。
結局、最後にはそこにぶちあたってしまい、心理学の本を読むのをやめたんです。
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結婚したこと。
親元を離れたこと。
部屋を片付けたこと。
夫の存在と環境の変化、そして行動したことで、憑き物が落ちました。
興奮か虚脱か。
感情の振れ幅を大きくすることで、生きていることを実感していたのが、なくなりました。
平穏はつまらないと思っていたのが不思議なくらいです。
平穏は心地良いものなんですね。
最近、私がやった片付けは、認知行動療法的なものだったんじゃないかと思い始めています。
心理学の本を読みあさったといいましたが、この認知行動療法に関する本は一切読んでません。
認知行動療法ってなんとなく、胃が痛い時に痛みを軽減する方法を教えてくれたり、痛みが出ないように訓練したり、そもそも痛みは思い込みだったと教えてくれるようなものだと思ってるんですが、どうなんでしょう💦
ちょっと読んでみようかな。
このジャンルに手を出さなかったのは、私自身を変えたかったわけじゃなく、母と父に変わって欲しかったからかもしれません。
お母さん、笑って。
お父さん、お母さんが淋しそうだよ。
母の、両親の、すき間を埋めようともがいて、自分が空っぽになっちゃったのかな。
空っぽな自分の代わりに、部屋が物で埋まっていったのかな。
そうだとするならば、汚部屋は必死に生きていた証。
そのおかげで踏みとどまれたなら、安く済んだというものです😊
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最後にラインホルド・ニーバーの祈りの言葉を。
神様 私にお与えください。
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えてゆく勇気を
そして二つのものを
見分ける賢さを。
片付けたいと願うあなたはもう、一歩前に進んでいるんですよ。
ご自分を褒めてくださいね♥
旧ブログで公開した記事を再掲しました。
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