私はキリスト教者に2度救われている。
信心深い彼らの穏やかでゆるぎない態度と行動に触れることがなかったら、孤独感に負けていたかもしれない。
家と学校以外の世界を味あわせてくれた。
血のつながり以外の親子関係を見せてくれた。
そして、3度目の救いと出合った。
私たちは境界線を引く代わりに「もし~でさえあったなら」と夢想します。無意識のうちに、自分自身にこう言うのです。「彼の完璧主義的な要求に対決する代わりに、私がもう少し努力すれば、彼は私を好きになってくれるだろう」、あるいは「もし私が彼女の願いを聞き入れて、怒らせるようなことをしなければ、彼女は私を愛してくれるだろう」という具合です。愛を得るために境界線を捨てることは、相手についての真実を知り、その真実の持つ悲しさを受け止め、手放し、前に向かって人生を歩み続ける、といういずれはさけて通れないことを先延ばしにするだけです。
できる、可能性、好き、イエス、いいね!
と同じくらい
できない、限界、嫌い、ノー、ウゲッ!
も大事なのだろう。
「できない」と認めることで「できる」がわかる。
この本を読んで、私は救われました。
信心深いキリスト教者に感謝します。
ありがとう。
ちなみに、分厚すぎて図書館の貸出期間内に読みきれず( ̄m ̄*)
購入しました。
読み終わったらまた詳しく!