
ども!オオノです。
今日は「未来を決める」ことについて書きます。
CITTA手帳を使い始めて、頭が混乱してきちゃったんですよ(笑)
ちょっと過去の棚卸しをして、頭の中をスッキリさせたい!という自己満足のための記事でございます。お付き合いくださいませ。
未来を決めるとうまくいく
後片付けと掃除がしやすい部屋にする!
少ない労力で最低限の家事をこなす!
今を変えたい!変わりたい!と思った時。
まず「未来を決める」ことから始めると、うまくいきました。
決めた未来の自分で生活すると、望む未来ができあがったのです。
ところが、未来をなかなか決められないということがあります。
理想の未来を思い描こうとすると(何バカなこと言ってんの)(そんなの無理だよ)否定的な言葉が浮かびます。
(自分を信じてみようよ!)(ここでがんばらなくっちゃ)と励ましても、どこかに穴があいてるかのようにやる気がしぼんでいきます。
自分がいいね!を押したくなるような未来を思い描けないと、どんなに詳細な目標を立てても実現できないのです。
汚部屋時代
行動できなかった
CITTA手帳を使い始めたのは「あれ?逆算で動けるようになってきてる?」と思ったのがキッカケです。
もともと私は「先に未来を決めて、逆算で動く」が苦手だったんですね。
何が苦手かって言うと、決めても動けない。
「_月_日_時、__する」と決めても全然動けなかったんですよ!
汚部屋時代はもっとひどくて

その日の気分がどうなってるかわからないから、友達と遊ぶ約束をしたくない……
遊びの約束ですら重く感じてました。
決めても動けなかった理由
なぜ楽しいはずの遊びの約束さえも、憂鬱だったのか。
それは、未来の自分がわからなかったからです。
もし約束した日に、遊びたい気分じゃなくて家でのんびりしたい気分だったらどうしよう。
そのまま行くのも憂鬱だし、ドタキャンするのも申し訳ない。
だったら最初から、約束をしなければいい。
そんな生き方をしていたんですね。
それが汚部屋脱出を機に変わりました。
汚部屋脱出~現在
自分との約束を守る
なぜ36歳までできなかった片付けができるようになったのかを知りたくて、部屋が片付いた後に色んな本を読みました。
その中の1冊7つの習慣では第1の習慣に「主体的である」ことを掲げています。
人間は刺激と反応の間に選択の自由をもっている
反応的な人の精神状態は他人の行動や言葉に左右され、振り回されることになる。
刺激に反応的とは、
- 夫や子どもが不機嫌になるとソワソワし、夫や子どもがご機嫌だとニコニコする
- 天気が悪いと落ち込み、天気が良いと浮かれる
- 悲惨な事件のニュースを見聞きして1日イラ立ち、明るいニュースで元気になる
反応的な人は、愛を単なる気持ちとして捉えがちである。なぜなら、反応的な人は感情や気持ちに支配されているからである。(略)
主体的な人にとって、愛は動詞である。愛は具体的な行動である。(略)愛は行動によって具現化される価値観である。
ここですぐに自分の生活の主導権を取り戻す方法を二つ提案したい。ひとつは、約束をし、それを守ることである、もうひとつは目標を設定し、それを達成するために働くことである。どんなに小さな事でも、自他に対する約束を守ることによって内的な誠実さが育成され、自制心と自分の人生に対する責任を引き受ける勇気と力が湧いてくる。自体に対して約束をし、それを守ることで少しずつ私たちの誠実さと自尊心が、その折々の感情よりも大きな意味と力を持つようになる。
これを読んで、汚部屋時代の自分は「反応的」であり、汚部屋脱出時の自分は「主体的」だったんだとわかったのです。
守れる約束しかしない
まわりに「反応的」であることをやめ、「主体的」に自分の人生を生きるんだ!
そう思ったからといって、すぐにできるわけはありません。
相変わらず「_月_日_時、__する」と決めても動けませんでした。
そこで時間割を決めました。
「_時~_時は家事」と割り当てた時間にしかやらない、と制限しました。
そうまでしてようやく、自分の生活の主導権をなんとか自分でつかめるようになったのです。
守れない約束=ニセモノのやりたいこと
他人との約束と同じくらい、自分との約束にも慎重になってから気付いたことがあります。
「やりたいこと」がニセモノだと行動できないのです。
やりたいこと
- 義務感
(~するべき、~しなければ) - 欠乏からくる欲求
(~したい、~欲しい) - 不安や焦りベース
(~しないとヤバい)
やりたいこと
- 使命感
(私、やります) - 好き・喜び
(~したい、~欲しい) - リラックス・好奇心ベース
(~したら楽しそう)
~したい、~欲しいは、根っこにあるのが欠乏感だろうと、好きや喜びだろうと、出てくる言葉が同じなので見分けるのが難しいのです。
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