こちらの記事に質問をいただきました。

質問
「欲求」と「願望」って、別のものなんですか?
ストレスを減らしたい が(欲求)で、部屋を片付けてキレイにしたいが(願望)になるのはどうしてでしょうか?
回答
別のものです。
欲求は、生まれつきあるもの。
不快から逃げ、快を求める本能的なものです。
ストレスがある状態は不快です。
ストレスを減らしたいというのは欲求です。
願望は、学習したもの。
不快を減らし快を得られるだろうと思っているもの。
体験して学習した願望や、見聞きして学習した願望があります。
部屋を片付けてキレイにするとストレスが減って気持ちいいだろう(不快から快へ)
不快から快への変化が強烈なものほど、依存しやすくなります。
最近のニュースでいうと、清原の覚せい剤なんかがそうですよね。
禁断症状(不快)から快楽物質ドーパミンの大量発生(快)へ。
もっと身近な例で言うと、恋愛初期なんかもそうです。
恋人に会えない(不快)→恋人に会えた!ドーパミンどっぱー(快)
会いたくて会いたくて震える禁断症状が会うことによって解消される。
ここで気をつけてほしいのが、欲求それ自体に誤りはないということ。
欲求は生まれ持ったものなので、価値観や社会通念とは無関係です。
覚せい剤に依存した人が覚せい剤を求める欲求を持つのは当たり前。
恋愛が不倫だったとしても、会いたいという欲求にイイも悪いもありません。
汚部屋が快適でおしゃれな部屋が不快でも、間違いではありません。
欲求を否定することは自分を否定すること。
楽に生きるには、欲求を全肯定する。
どんなに価値があるモノでも、「なんか気に入らない」っていう自分の不快感を肯定する。
逆に、どんなにくっだらないモノでも「なんか好き」っていう自分の快感情を肯定する。
自分の欲求を感じることで、願望や感情、思考・行動の流れをスムーズにできます。
不快なのは?
快なのは?
丁度よいのは?
自分の欲求を感じてみましょう。