小さい頃からおとぎ話が好きでした。
賢い主人公が知恵と茶目っ気をいかして成り上がる話。
美しく愛らしいお姫様が理不尽な目に合いつつも、気高く勇敢な王子様に助けられて幸せになる話。
無理難題をつきつける王様、嫉妬に狂う王妃様、謎の力で不幸を押し付けてくる魔女。
ヒールがわかりやすいおとぎ話ですが、アンデルセンの「雪の女王」だけは敵役であるはずの女王にうっとり。孤高の美しさに憧れ、弱さゆえの頑なさに共感しました。逆に、色んな出会いと助けを受け容れるしなやかさを持った、成長し続ける主人公ゲルダには嫉妬をしていました。
おそらく、ゲルダには母の愛情を素直に受け取る弟の姿を投影していたんでしょうね。で、私は雪の女王側('∀'*)
そうね、私は脇役ね。なーんて悦に入ってる子供でした。(早熟!)
ちなみに、雪の女王に気に入られさらわれ、ゲルダが大変な旅をした末に助けられるカイ。どこがいいのかまったく理解できなかったですw
そんなおとぎ話が大好きだった女の子は、成長するに従い登場人物が記号化された「本格ミステリ」とここではないどこかの「異世界ファンタジー」にどっぷりはまります。
私の人生の中でスーパーハードモードだった0歳から15歳までを乗り切れたのは、夢幻の世界のおかげ。
なんの希望も見えないような辛く苦しい現実も、目を閉じればあっという間に光り輝く夢の世界に早変わり!
ここではないどこかに、早く連れて行って欲しい。きっとそこでは私にも、私が主人公の物語があるはずだ。
そんなような事をずっと思っていました。
現実逃避するのは、逃避したくなるような現実が悪い!ってね。
中途半端に現実の世界を見てしまう自分も嫌でした。
いっそ狂ってあっち側に行ってしまいたい。そうできたら楽なのに。
現実世界には苦しかない。
そー
んー
なー
重い絶望感をピヤッっと、取っ払っていただきました!
むふふ。
片付けは現実世界を知る行為。だからつらい。
「現実世界=苦」だと思っていた私。
苦痛である片付けを、お客さんにはできるだけ楽にやさしくしてあげたい。だってそもそも片付けができるとかできないとかは、存在価値とはまったく関係のないことなんだもん!
そんな思いが片付けの仕事をしていくにつれ大きくふくらんでいってしまいました。
でもこれって……。なんか過保護で過干渉なママみたい。
そう気付いてしまった。
いかん、あかん、おかん。
軌道修正せねば。
そうだ。
私、自分が好きなものをお客さんにプレゼントしちゃってたんだ!
ちゃうちゃう。
プレゼントは相手が欲しいものをあげるんだった。
お勉強リンク↓

より引用。
本日は二度寝の気持ちよさを押しきって
言語化できる後者の向江さんの開催された
前者後者座談会に参加させていただきました。ちなみに前者後者というのはこちらをご参照ください。
→『心屋仁之助 前者後者』(略)
シチュエーションごとに
参加者が答えるコーナーがあったんですが
もうね!
わたしね!
衝撃でした!
例えばプレゼントを贈る時は
どうやって選びますか?
というテーマでは
後者A 自分の好きなものを…
後者B 自分の好きなものを…
自分の!?
((( ;゚Д゚)))おかーさーん!!
怖い人たちがいるよー!!
人様に贈り物をするときに
自分の好きなものを差し上げるんですって!!
わけわかんないんですけどー!!
その理由は、どうせ相手の好きなものが
予想できないからだそうです。(略)
あげてもあげても「ある」ものってなんだ
仕事ってプレゼントと一緒なんじゃないかな~。
相手が喜んでくれたらお金やらリアクションが増える。
でも、相手が喜んでくれるからって自分が好きでも何でもないものをあげていたら、相手のことを見下すようになる。
一番いいのは、相手が欲しいものと、私が好きが同じこと。さらに私の中の有り余ってるものならすごくいい循環がうまれるんじゃないかな。
自分の中にあげてもあげても「ある」もの、全然なくならないものってなんだろうか。
プレゼントして喜んでくれそうなものってなんだろうか。
客観性とか一般的なとかいうものにめっぽう弱い人間だという自覚があったので、習いに行くことにしたのです。
こちらで。

つづく
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