頭の中から片付けるライフオーガナイザー®のオオノミエコです。 どうも!(^-^)/
怒涛の学びは2019 OWチャリティイベントin埼玉から始まった
2019オーガナイズウィーク チャリティイベント in 埼玉 行ってきた・その1 その2
EFコース~より深い人生を創造するために・6日目
のつづきです。
思い込み
本当に欲しいものは手に入らない。
本当に欲しいものだけが手に入らない。
ずっと消えない飢餓感。
私を見て。私を一番に愛して!
競争社会なのだから、一番にならなければならないという思い込み。
一番にならなければと思い込んでいるということは、一番ではないと思い込んでいるということ。
私は一体どこでそんな思い込みをつくり、強化していったのでしょうか。
兄弟姉妹がいる場合、親の愛を独占したくて競争意識が芽生える場合があるそうですね。
私はそのケースにどハマリしていました。
振り返る
生後3ヶ月の頃、兄が交通事故で亡くなります。
私の記憶にはまったくないのですが、子どもを失うというのはただでさえ悲しい事でしょう。農家の生まれで長男教の母にとって、長男を亡くすという体験はさらにつらいものだったでしょう。
33回忌法要を終えた後でさえ、母の中にはつらさがそのまま残っているようでした。
母の一番のお気に入りは兄です。永遠に勝てない相手。
次は弟。
私が3才になる少し前。弟の出産のため、私は母の実家に預けられます。
祖母が千葉から埼玉まで迎えに来てくれたそうです。
この時のことは薄っすらと記憶があるような、ないような。
祖母に手を引かれ、田舎道をてくてくと歩いている姿が思い浮かぶのですが、祖母と私が俯瞰で見えているので記憶違いかもしれません。
弟の出産後しばらくしてから、両親は弟と一緒に私を迎えに来たそうです。
その時の私は「ぷくぷく太ってほっぺが真っ赤で、すっかり田舎の子になってた」そうです。
欲しかったのは母の愛?
小さい頃のこのエピソードから、私がずっと思い込んでいたのは、
本当に欲しいのは母の愛。
兄や弟よりも上の愛が欲しい。
兄や弟より上が無理なら、せめて唯一の女の子として私だけへの愛をください。
でした。
でも、私が欲しい形での愛は得られず。
5才で「こいつはダメだ。もう期待するな」と心が折れたのです。
本当に欲しいものは手に入らない。
本当に欲しいものだけが手に入らない。
思い込みを強めていき、生き延びるために我慢を始めます。
お前が欲しがるものよりも、もっとずっといいものを与えられているのだよ。
その幸運に感謝して、我慢なさい。
コントロールドラマ、5才で主演女優
5才の時、母に対する期待がポッキリ折れた体験というのは、高熱が出ている私をひとり残して、母が弟と一緒に外で井戸端会議をしていたという出来事でした。
この時のことを強く覚えています。
高い熱が出て病気になったからには母もそばにいてくれるだろうという期待は裏切られました。
目が覚めて「おかあさん」と呼んでみても、何度呼んでも母は来ません。
まさか。病気の私を置いて、どこかに出かけた?
「おかあさん」叫ぶたびに体力が奪われます。
何度呼んでも家の中はしーんと静まり返ったまま。
すぐに来てくれるはずと期待していたのに。病気の時ですらこの仕打ちか。いないのだ。どんなに呼んでも母はいないのだ。
その時、外から笑い声が聞こえてきました。
ご近所さんと井戸端会議をして笑っている母と、母の足にじゃれつく弟。
「おかあさん」
そう呼びかけようとして、声が出ませんでした。じっと黙って母を見ていました。気付くかと思って。
母は気付きませんでした。
そして私は諦めるのです。「こいつはダメだ。もう期待するな」と。
・・・。
EFコースでコントロールドラマについての説明を聞けば聞くほど驚きました。
私はすでに5才で「かわいそうな私でいれば愛情が、愛情が無理でも同情ぐらいはもらえるでしょ? |д゚)チラッチラッ」と女優を演じていたのです。
どこで学んだ?
私は一体どこで被害者役を覚えたのでしょうか。
答えはすぐに見つかりました。
母の実家。
母の実家には祖母と祖父、そして叔父夫婦と1才になる従姉妹がいました。近所には親戚のおじさんおばさんたちも住んでいます。
祖父だけでなくおじさんたちにも可愛がられ遊んでもらい、ずいぶん懐いていたそうです。
「かわいそうな子」「母と離れて健気にがんばる子」でいればチヤホヤしてもらえると、ここで学習したのでしょうか。
じいやとばあやたちに囲まれた姫のように、でろでろに甘やかされて育ったのだと思います。
田舎ですから、泣いてる子にはお菓子をあげる。怒ってる子にもお菓子をあげる。
ちょっと駄々をこねたら、欲しいものが手に入る。
そんな生活をしていたのでなければ、チヤホヤされて甘やかされた経験がなければ、母のことを「こいつはダメ」と失格扱いすることができなかったはず。
祖父母のもとで姫のように甘やかされて暮らしていた生活。
両親のもとで大人になるための教育を受ける生活。
2つを比べていたのでしょう。
私が本当に欲しかったのは母の愛ではなかったのです。
母に、祖父母やおじさんたちのようになれ。私を姫のように甘やかしチヤホヤしろ。愛とはそういうものだろう。
ものすごい傲慢な要求をしたいたのでしょう……。
_| ̄|○ il||li
無理だって!
何をしてもらっても満たされなかったのは、ありえないほど期待が高かったからです。
親元を離れた小さい女の子を、一時的に預かるのなら溺愛するでしょう。
でも、ずっと一緒に暮らし育てるのなら、度を越した要求にはNOと言わねばなりません。
それが幼稚園児の私にはわからなかった。
ほどける・とける
実際がどうだったかはさておき。
溺愛された田舎暮らしと同じ待遇を求め、得られなかったことから[愛されていない]という思い込みを強めていったという仮説は、すんなりと納得いくものでした。
小さな女の子が勘違いしてしまうほど、田舎で可愛がられていたのだろうな。
この時の楽しさが忘れられなくて、私はオタサーの姫やってたんかな?(爆)
いやはやなんとも恥ずかしい。
ずっと被害者だと思っていた自分が、「愛をよこせ」と恐喝する加害者だったなんて!!
過去があっという間にひっくり返りました。
でも。
本当に欲しいものは手に入らない。
本当に欲しいものだけが手に入らない。
この思い込みが消えません。
お前が欲しがるものよりも、もっとずっといいものを与えられているのだよ。
その幸運に感謝して、我慢なさい。
本当に欲しいものが手に入ることはないのだろうか。
・・・。
そんな時、私の前に「欲しいもの」が現れました。
チャンスです。
つづく。
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