ニーバーの祈りは、どん底にいた私の支えだった。
神様、
変えられるものを変える勇気をお与え下さい
変えられないものを受け入れる平静さをお与え下さい
そして、変えられるものと変えられないものを見分ける知恵をお与え下さい
どん底からはいあがり、バランスのとれた毎日を送り、ずいぶんと元気になった頃。
だんだんと「変えられないものを受け入れる平静さ」が減っていった。
キャパ、ちっちゃいからね。
「変えられないもの」で頭がいっぱいになってしまうと、どうにかして変えようとしてしまう。
「受け入れる平静さ」がかけらも見つからなくなる。
謙虚さ、カンバーーーーク!と叫んでみても、戻ってこない。
こうなると、
『「変えられないもの」で頭がいっぱいになってしまうと、どうにかして「変えられないもの」を変えようとしてしまう。』ことも「変えられないもの」となる。
こんな時、私は、
望む結果を導き出すやり方を探すようにしている。
結果的に同じならOKなのだ。
「受け入れる平静さ」はなくとも、「後回し」にして頭から追い出すことはできる。
変えられるものを変えることに集中できる。
ラッキーなことに、変えられるものを変えている間に、変えられないものが変わっていたりする。
変えられないものを変えようとする間は、何も変わらない。
時間だけが過ぎていく。
神様。変えられるものを変える勇気をお与え下さい。
こんなにも私を助けてくれるニーバーの祈り。
しょっちゅう忘れる。
思い出すたんびにブログを書いてる。
もうこれは、ニーバーの祈りを今この瞬間に必要としている人に届けるために忘れているのかもしれない。
私のド忘れっぷりも変えられないものなのだろう。
変えられないものは後回しだ。
変えられるものを変えよう。
人生は短い。
変えられるものを変えよう。