「やっても無駄」「意味がない」「で?なんになるの?」―学習性無力感と冷笑癖との戦い

こんちゃ!ライフオーガナイザー®オオノミエコです。

12月に入ってどんよりモードに陥って、精神的にしんどかったのが何かをしようとしても即座に打ち消す「それで?」という冷笑でした。

汚部屋脱出しようとした時にもありました。

部屋を片付けよう!と意気込んで、テーブルの上にあるゴミをゴミ箱に入れようとすると

「そんな程度の片付けで、部屋が片付くと思ってるの?」

「もっと思いきらないと!」

やたらとあざわらう心の声。

他人に言われる分には「うるせえ!」で充分だし、言ってくる輩とは距離を置けばいいわけですが、自分で自分を冷笑してると逃げ場がありません。とてもしんどいです。

学習性無力感

学習性無力感とは、長期にわたってストレスの回避困難な環境に置かれた人や動物は、その状況から逃れようとする努力すら行わなくなるという現象である。

なぜ罰されるのか分からない(つまり非随伴的な)刺激が与えられる環境によって、「何をやっても無駄だ」という認知を形成した場合に、学習に基づく無力感が生じ、それはうつ病に類似した症状を呈する。

学習性無力感 – Wikipediaより

過保護過干渉な母親、無関心な父親の元で育った私。

「なぜ片付けなきゃいけないの?」といちいち疑問を持つタイプでした。

対して母親は「『なぜ片付けるの?』ってなぜ考えるの!片付けるのは当たり前でしょ!」というタイプ。父親は「お母さんが怒るから、片付けなさい」というタイプ。

なぜやらされるのかわからない状態で強いられる。
やらされると感じることが多く、そのたびに疑問をぶつけたり気持ちを訴えるのですが、タイプの違う母と娘。見ている世界や社会が根っこから違うわけです。
前提が違う者同士、話が通じるわけがなく、すれ違いまくり。

また思いつきで発言したり、後先考えずに行動することが多かった私。

大騒ぎして始めたことをあっという間にやめる。途中で放り投げる。続かない。などどいう事も多く、失敗する度に「だから言ったじゃない」「お母さんは忠告したよね」と言われることも。

やる意味がわからないまま強いられたことは、やっても感謝されず、できても褒められず。

やりたいことは放っておかれ、やっても無視。できても無視。失敗した時だけ「ほれ見たことか」とマウンティング。

こういう経験が増えていくたびに、

  • 言っても無駄
  • わかってもらえない
  • どうやっても変わらない
  • やっても無駄

無力感を学習してきたわけです。

ん?学習してきた?

そう。

無力感を学習してきただけなんですよね。

ではこれからは効力感を学習すればいい。

理屈はそうです。

ですが、効力感にも限度があります。

冷笑系

最近「冷笑系」というワードをネットで目にすることが増えました。

ネットの人生相談でもよく目にするんですよね。

結婚後暴力を振るうようになった夫についての相談で「なんでそんな男と結婚したの?」

家庭をかえりみず好き勝手していて妻に逃げられた夫に「奥さんの訴えをもっと真摯に受け止めてればね」

テレビのワイドショーもそんな感じかな。

起きた出来事について語るんだから、「水に落ちた犬を打つ」(打落水狗)ような後出しジャンケンばっかり。勝ち負けとか、成功か失敗かみたいな見方しかない。

無力感を学習したのだから、効力感を学習すればいいんだ!

というのはゼロか100かの極端な考え方で「結果ですべてを判断する」という点で、同じ土俵の上で戦っている。

「やっても無駄」「意味がない」「なんになるの?」

今回わたしが「やっても無駄」「意味がない」「なんになるの?」という冷笑思考に落ちたのは、片付けのプロ・ライフオーガナイザー®として2018年の活動を計画していた時のことでした。

片付けの仕事がうまくいくかどうかは水物です。

直接ヒトを相手にする商売すべてそうでしょうが、努力に努力を重ねた結果うまくいく事が増えるというものではありません。
なぜうまくいったのかわからない。なんてこともしょっちゅうです。

自分の努力やがんばりと無縁のところでうまくいく。

ラッキー!なようで、意外とこれがこたえました。

うまくいく時はうまくいく。うまくいかない時はうまくいかない。

では一体なにをどうすればいいの?  
本当にやりたいことは何?

片付けの仕事、という大きなくくりからもっと小さくしよう。

私がやる片付けの仕事って何?

なーんて考え始めてしまったら、色々思いつくたびに「やっても無駄」「意味がない」「なんになるの?」の堂々巡りへ。

そしてそのまま、生きること自体も「無駄じゃない?」「意味があるの?」「これから何ができるの?」とあざわらい、そこから脱しようとしても「死ぬの?w」「できないっしょw」とあざわらう。では気晴らしをと思うと「時間の無駄」「ひとりよがり」「もっと有意義に」

何をしようとしてもあざわらう自分が立ちはだかる。

「もっと気楽に」「そんな深く考えないで」「パパっと動いちゃえばいいのよ」

もっともなご意見が頭に浮かぶ。

「そんな自分のまま愛されてる」「願いは叶うのよ」

キラキラスピスピ魔法の言葉も浮かぶ。

ところが、すべてを打ち消す最強の呪いの言葉が即座にすべてを跳ね返す。

「で?」

「なんになるの?」

「で?なんになるの?」という呪い

片付けを仕事にし始めた頃、片付け自体がおもしろくて夢中でした。

「片付けを仕事にする。で?なんになるの?」

「わかんない! でも、とにかく楽しいの!面白いの!すっごい謎だらけなの!!」

「できない」が「できる」に変わる喜びを日々感じていました。

でも、ずっとずっと思っていた。

「できない自分」もそれなりに幸せで楽しんで生きていたということ。

「できる自分」もそれなりに不幸でつらくて死にたくなるということ。

どんどん、どんどん、疑問が大きくなっていった。

「片付けの楽しさをもっと知ってほしい!」

「で? なんになるの?」

出した答えは……

「やっても無駄」「意味がない」「で?なんになるの?」と自分を冷笑する時。

私が見ていたのは、自分の外側のことだった。

他人だったり、グループだったり、社会だったり。

何かを始めた時に、一番影響を与える人物の存在をすっかり忘れていた。

私の一挙手一投足に一喜一憂する人物。

それは、

私自身

私がやろうとすることは、家族にも友人にも他人にも社会にも後世にも「無駄」で「意味がない」「なんになるの?」という役に立たないことだったとしても、

  • やってみたいからやる
  • 気になるからする
  • 飽きたからやめる
  • つまんないからやめる
  • またおもしろそうだからやる

なんつー適当ないい加減な気持ちでも、

結果でなくても、迷惑かけても、無駄にしても、バカでも、笑われても、

自分の中に劇的な変化が起こらなくても、やってみる。

堂々巡りで身動き取れない現状が、ほんの一滴ほど変わる。

今、こうして書いている文章も私自身のために書いています。

過去に書いた記事に心がなぐさめられたけれど、

今の私にはもうあてはまらないなと感じたから。

「なりたい自分」という外側ばかりに目を向けるのは、そろそろやめようと思う。

「なりたい自分」ってそもそも窮屈な枠かもしれないしねw

〆のご挨拶

オオノミエコでした。

 

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