手放してわかれる時の胸の痛みについてのお話

昨日、ようやく満月のお片付けを終えました。

なんかダラダラちまちまとやっていたので、明後日にはもう新月。

早いですねぇ。

満月のお片付け、初回ということあり家全体をざっくりと棚卸し。

もう自分とはつながりが切れているモノ。

思い切って手放して次に進みたいというモノ。

この2種類を手放しました。

つながりが切れているモノ

つながりが切れているモノとは、

手に取った時、身体の内に起こる反応が過去形になってるモノです。

この手のモノを捨てるのは、心理的には難しくありません。

例えば、もらったけれどあまり好きではなく使いきれなかった香水とか。

捨てる手間がかかるくらいですね。

捨て方を調べて、めんどくさがる自分のお尻を蹴り飛ばして、やるだけです。

思い切って手放して次に進みたいというモノ

思い切って手放して次に進みたいというモノは、

手放して新しい・次の何かを入れるスペースを作ろうという意図を持って、手放すモノです。

まだほんのすこしだけ、モノとつながっている。

だから、少し胸が痛むんですね。

まだつながってるから。

今回のお片付けで胸が痛んだのは、2009年の手帳と古いPCから移していた昔のゲームの動画。

身軽になって一歩前へ。

進みたい。

一歩前へ、行った時には必要ないモノ。

こういったモノを手放す時、私はモノとのつながりを切る、儀式のような時間を持つようにしています。

そのモノに触れ、自分の内側にモノのエッセンスが「ある」ことを確かめます。

手放しても、もう自分の血肉となっている。

そう確信できたら、手放したとしても消えません。

だって、私の中に確実に「ある」のだから。

「死ねば恋が終わるとは思わぬ」

――ガラスの仮面より

めちゃめちゃ胸が痛んで苦しいってなモノは手放しません。持ち続けます。

それはモノが刺激してくれている真っ最中だからです。

自分の内側に「ない」エッセンスを、モノが補ってくれているから。

持ち続けます。

モノくらい、いいじゃないですか。

いろんなヒトやいろんなコトが、自分の意志とは無関係に消えていくのですから。

モノくらいは存分に納得いくまで持っていて。

いいんじゃない?

手放して、

身軽になって、

一歩前へ進みたくなったら、

大丈夫。

「ある」から。

「ある」から。

大丈夫。

進もう。

〆のご挨拶

オオノミエコでした。


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