幼稚園児を見ていたら「愛されている感」がわいてきた話

どもー。ライフオーガナイザー®オオノミエコです。

ココロのことやるよー宣言してから、地味に行動を変えているんですが、そういや記事を書いてないな、と。

というわけで、今日はココロの話。

去年の年末あたりから、バタバタバターっとドミノ倒しのように「他者受容」ができるようになりまして、その結果「他者肯定感」がめちゃめちゃアップしました。

どのくらいアップしたかと言うと

「他者肯定感」っていう言葉を思いついたくらい(笑)

ずっと他人のことはあきらめて受け容れるしかないと思ってた。
だから「他者受容」って言葉しか使ってなかった。

でもある日、近所にある幼稚園のそばを通った時のこと。

園児同士がケンカしてたのよ。わーわーギャーギャー叫んだり泣いたり。

その光景を見ていて

あー、みんな可愛いなぁ

って思ったの。

で、その後、

可愛いなぁって私は思ったけど、あの子たちひとりひとりの立場になったら、みんな可愛いなぁなんて絶対思えないよな。

女の子を泣かせているいたずらっ子も、泣いちゃってる女の子も、そのそばでぼけーっとしてる子も、みんなみんな可愛いって思うのは私が幼稚園児と同じフィールドに立ってないからだよなー。

あ!

神様とか仏様とか天使とか宇宙とか、なんかそういう人智を超えた大いなる存在からしたら、どんな人間だろうと可愛いんじゃない?どんな人間だって全肯定じゃない?

私たちだって、アリ1匹1匹の生活態度なんて見る?このアリは悪アリだ!って断罪する?お!珍しい行動をとるアリだね~。くらいのノリで生き物として観察するくらい。
存在を否定する?

裁くことなんてない。

何をしたって、何をしなくたって、大いなる存在からしたら可愛いんだろうなー。

なんだ、そっか。みんなみんな存在まるっと無条件で愛されてるのかー。

てことは、正しいとか間違ってるかなんて考えなくていいんだな。

好きか嫌いかだけでいいんだな。

だって、愛されてるし。

同じフィールドにいる他の人たちに愛されるかどうかはまた別の話だけど。

なんか神様的な存在からは愛されてるんだなぁって思ったら、がんばって生きる資格試験に合格して一人前になりたいって無駄な努力していた過去の自分のことも可愛く思えた。

でもって「存在してもいいんだよね?」って不安になってもがいてる人たちのことも愛おしく思えた。

大丈夫。

私たちは愛されてる。

「他者肯定感」で「自己肯定感・他者肯定感 診断」なるページがあったー。

やってみたら、人格者だってwww

まぁ、考えていることと実際の行動にはズレがあるもんだから、あまりにも価値観が違う人と相対したら(わかっちゃいるけどぶん殴りてぇ!)って思うだろうねw

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〆のご挨拶

オオノミエコでした。


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