頭の中のガラクタを捨てる

私は目に見えるモノより、目に見えないもののほうが簡単に捨てられます。

頭の中にある、目に見えない「考え」「思考」「価値観」「解釈」「前提」「思い込み」「常識」「マイルール」

そういったものを「ガラクタ」「道具」「宝物」に時々分けて俯瞰すると、新たな発見があって面白いんですよね。

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例えば、「遅刻してはならない」という「常識」。

以前は「道具」として使っていましたが、使い勝手が悪くなってしまった今は「ガラクタ」になりました。

強すぎる禁止はプレッシャーが大きすぎて、私のカワイイ脳みそではさばききれないんですね。

待ち合わせ時間に間に合うかどうかで頭がいっぱいになり、着いただけで終わった気になっていました。

ADHD傾向があると受け入れた時、「常識」を捨て、

「約束より早く着くようにする。遅れたら謝罪の連絡をすぐ入れる」という「マイルール」に書き換えました。

やることを明確にする+失敗した時にやることも明確にすることで、負荷を減らすことができました。

他人の○○はほとんどが「ガラクタ」

私が汚部屋脱出できたきっかけの1つが、

部屋を片付けたいなら、不要なモノを捨てなければならない

というクソの役にも立たない他人の教えを捨てたことでした。

子供時代に触れた親や教師、友人・知人、テレビ・新聞・雑誌・書籍といった他人の教えが、そのまま自分の「価値観」と合致することもありますが、そうでない場合もあります。

視野が狭く、自分で責任を取れない子供の時のあなたには役立った「道具」も、大人になった今のあなたには「ガラクタ」となり、窮屈な思いをさせているかもしれません。

頭の中の「ガラクタ」は、次のような言葉とセットになっていることが多いです。

  • しなければならない
  • してはいけない
  • するべきである
  • するべきではない
  • 当然___だ
  • __が常識
  • ___しないと___になる
  • __したら__じゃないとおかしい

母親へのわだかまりも頭の中を空にすることで消えた

私はずっと母に対してわだかまりを抱えていました。

「母親は我が子を愛するものである」
「愛するとはありのままを肯定することである」

この「価値観」からズレる母のせいで私はこうなったのだと、長い間、勘違いしていました。

そうではなく、人は誰しも自分を選んでいるのだと知ってからも、

「母親は我が子を愛するものである」
「愛するとはありのままを肯定することである」

といった他人の「価値観」が私の邪魔をします。

そこでこの「価値観」を一度捨て、さらに、

「母親と子は別の人間であるから、母親は子を同一視してはいけない」

という私の「考え」も捨ててみました。

その結果、私の中にあった

「命を産み出す母親への尊敬心」が減り、

対になっていた「命を奪い取る母親への恐怖心」も減りました。

残ったのは「母親は母親という役割なのだなぁ」という「解釈」だけとなりました。

「生きづらい」のは他人の○○で生きているから

ADHD・ADHDタイプはもちろん、そうでなくても

「生きづらい」と感じている方は是非、

頭の中の「ガラクタ」を見つけて捨ててください。

捨てたはずなのに、たま~に戻ってきちゃうこともありますが(笑)

やる価値ありますよ!

〆のご挨拶

オオノミエコでした。

 

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