告白・4

告白・1

告白・2

告白・3


中学生になった。

私たちが卒業したA小学校ともうひとつ、別のB小学校の子たちが同級生になった。

出身校が違うと身にまとう雰囲気も違うのだと驚いた。

  • 一見マジメだけど、グレるととことん落ちていくA小の子
  • やんちゃで悪さはするけれど、道は踏み外さないB小の子

そんな風にも云われていた。

底抜けに明るいB小の子たちは、佐賀にいた頃の友達に似ていた。

おじいちゃんおばあちゃんと同居して、可愛がられる子供たち。
地域社会とつながって、親戚も近くに住んでいる。そんな田舎の子。

――同じ町に住んでるのになぁ。

意外とA小学校の近くに住む子もいた。

なぜわざわざ遠くのB小の学区に入ったかというと、施設の子たちと一緒は嫌だと反対の声が上がったからだという。

A小なら徒歩5分でつくのに、30分かけてB小へ徒歩通学。

もやっとした。

反対した親御さんたちの気持ちをわかってしまった自分にもやっとした。

母親のことは好きだだけれども、小さい頃から距離を感じていた。

ド田舎の大家族農家の長女だった母。8人兄弟の末っ子で九州男児の父。

私が生まれて3ヶ月。

兄が事故で亡くなる。

長男を、目をそらしたすきに事故で亡くす。

相当にショックだったと思う。
当時のことだから、精神的なケアがまわりからあったようには思えない。

一度だけ、兄の死について母に尋ねたことがある。

母がぐっと食いしばり「私が悪かったの」と言った。

「ただそれだけよ」

悲しみと後悔をひとりで抱え込む母の気持ちを楽にしたかった。

私がいるよと伝えたかった。

でも、返ってきたのは拒絶だった。

――尋ねたのが私じゃなくて、弟だったら……母はどうしただろう

私がもうすぐ2才になろうという冬のこと。

私は母の実家に預けられた。

弟の出産のためだった。

私の一番古い記憶は、この時のもの。

祖母に手をひかれ歩く田舎道。

それ以外のことは全く覚えていないが、祖父母や叔父、母の叔父叔母、その他よくわからない親戚にたっぷりと可愛がられ、食べ物を与えられ、両親が迎えに来た頃にはまるまるとしたほっぺの赤い田舎の子になっていたそうだ。

たくさんの大人たちからお姫様扱いされていた田舎の生活。
気軽に外に出て自由に歩き回って遊んでいた生活。

家に帰ると一変した。

山も畑もない。空も木も小さい。

赤ん坊の弟。弟の世話にかまける母。仕事仕事の父。

母を呼んでも「あとで」と言われる。

言うことを聞いておとなしくしていても、「残さず食べなさい」「○○してはいけません」命令ばかり。

それに比べて弟は、何をしても可愛がられている。

死んだ兄。生まれた弟。

私は?

私はお母さんにとって何?

心の距離はずっとあった。

けれど、A小学校に転校してきてからは「それでもありがたいのだ」と言い聞かせていた。

血の繋がった両親がいて、一緒に暮らしている。

仲良くはないけれど、養ってもらっている。それだけでありがたいことで、幸せなんだ。

そう思って我慢した。

我慢していたが、従順ではなかったので反抗はめちゃめちゃしてた。

Mさんの事件以降は、さらに、殺されることもなく殴られるわけでもない自分の身の上を恵まれているのだと思っていた。

ところが。

中学でNちゃんと知り合い、私は自分の境遇をありがたがることをやめた。

Nちゃんは6年生の時に転校して来たのだという。

施設に入ったのだけれど、中学からは里親候補のお宅で暮らし始めたそうだ。

お試し期間中に私たちは仲良くなり、毎朝一緒に登校することになった。

「うちの人」

Nちゃんは後に義父母になる牧師さん夫婦のことをそう呼んでいた。

実の父には会ったことはなく、実の母はどこかに消え、姉も今はどうしているか知らないとNちゃんはなんでもないことのように言った。

血の繋がった実の母に殺される子がいれば、まったく無関係の他人の子を育てようとする大人もいる。

不思議だった。

毎朝、Nちゃんと「うちの人」への愚痴や不満を言いながら登校してた。

Nちゃんの境遇と比べたら、私は親への愚痴や不満なんて言えないのかもしれない。

けれど、誰かと比べて感情を抑えるのは、もう、なんだか違う気がしたのだ。

他の人と比べてたくさん食べているからといっても、空腹は空腹であって、満腹にはならない。

それと同じように、同級生たちと比べて私が恵まれた家庭環境にいる子だとしても、親への不満は不満として持ってていい。

そう思っていた。

Nちゃんが「うちの人」に対して不満に思うことも当然だし、誰に遠慮することなく言っていいんだ。

そう思っていた。

「引き取ってもらって、育ててもらってるのにワガママだよね……」とNちゃんが言ったことがある。

「何言ってんの。嫌なもんは嫌でしょ。私なんて、生んでもらってずっと育ててもらってるのにボロクソ文句言ってんじゃん! Nちゃんから見たら、めちゃめちゃワガママでしょ? でもね! 嫌なもんは嫌なの! それでいいの!!」

大演説ぶちかました日以降、Nちゃんは「うちの人」に対する愚痴や不満をストレートに言うようになった。

Nちゃんはずっと我慢して愚痴や不満を抑えていたんだと、鈍い私はようやく気付いた。

それからしばらくして、Nちゃんは牧師さん夫婦の養子になった。

私は聞いた。「いいの?」

「うん。決めたんだ。ここんちの子になるって」

Nちゃんは少し落ち着いたようだった。

「そっか。良かったね!」

「うん。昨日は洗礼式ってのやったんだよ」

「え?なにそれなにそれ」

「あのね……おとうさんがね――

(Nちゃん「おとうさん」って呼んだー(*´ェ`*)おじさん嬉しいだろうなぁ)

その後、Nちゃんが独立すると牧師さん夫婦は兄弟を引き取って育て始めたそうだ。

「実家帰ると弟たちがうるさくてw」

「よっ!おねーちゃん!」

「この歳で小学生の弟ができると思わなかったわー」

「しかも3人」

「ね!」

「おじさんもおばさんも、すごいねぇ」

「ほんと、我が親ながらすごいわ」


いろいろな出来事がありすぎて、しんどかった小・中学生時代。

いろんな大人がいる。

なんのつながりがなくても、助けてくれる人は必ずどこかにいる。

今もそう思えるのは、Nちゃんと牧師さん夫婦がいてくれたから。

勝手にこっそり救われていた。

Nちゃん。おじさん、おばさん。

ありがとう。

つづく

〆のご挨拶

オオノミエコでした。


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