頭でっかちになったら体が痛みだした―100日チャレンジ・朝と夜の日記編 と
痛みはどこから? ―100日チャレンジ・朝と夜の日記編 のつづき。
- 1日の計画を立てその通り実行すると、体が痛む。
- 1日を気分で過ごすと、夜中に何も成し遂げていない焦燥感が襲ってくる。
私の中に2人の私がいる。
うまくいかない時のお決まりのパターン。
2人の私の大喧嘩。
汚部屋時代の片付けでは、毎回こうだった。
ワタシa「これ、いらないよね。捨てちゃいなさい」
わたしb「うるさいっ! いらなくなんかないよ!必要だよ!」
ワタシa「なにに? 使いこなせてないじゃない。似たようなモノもたくさんあるじゃない。こんなごちゃごちゃな部屋、捨てなきゃ片付かないわよ」
わたしb「嫌だ!」
ワタシa「ε-(´・_・`)ハァ・・バカみたい。部屋を片付けたいのよね? 捨てずにどうやって片付けるつもり? ……大人になりなさいよ。割り切って捨てなさいよ。捨てたらスッキリ片付くって、それしかないって、あなただってわかってるんでしょ?」
わたしb「嫌だ」
以下延々とループ。
汚部屋脱出したお片付けの時は「ワタシa」がうまく「わたしb」をのせていた。
ワタシa「捨てたくないなら捨てなくていい。迷うなら捨てなくていい。全部残しでいい。ひとまず家中すべてのモノを見直そう」
わたしb「えー、めんどくさーい。やる気なーい。」
ワタシa「やる気は、実際に片付けを始めることでわいてきます。作業興奮ってやつです。だから、とりあえず片付け始めるってことだけやりましょう。始めた後に『やっぱり片付けやりたくない。今日は気分じゃない』って思ったら、即やめていいよ」
わたしb「うーん。じゃあ、1個だけ」
ワタシa「お、その調子! 1個だけでも今日の片付けノルマ達成だからね!」
わたしb「うん(^^)」
小さい子に教えるように、優しく少しずつ褒めて伸ばしていった。
「ワタシa」が「わたしb」に[効率重視のやり方]を強要していた頃は、片付け切れないことがほとんどだったし、すぐに汚部屋に逆戻りしていた。
「ワタシa」と「わたしb」が一緒に[成功重視のやり方]を試行錯誤し始めてからは、片付けがぐんぐん進み、それだけでなくやりたくなかった家事もスムーズにこなせるようになっていった。先延ばしも撲滅でき、私なんかが……という自己否定の気持ちが消えて、生きやすくなった。苦手だった他人とのコミュニケーションも楽しめるようになっていった。
だから。
- 1日の計画を立てその通り実行すると、体が痛む。
- 1日を気分で過ごすと、夜中に何も成し遂げていない焦燥感が襲ってくる。
これも、「ワタシa」と「わたしb」が手を取り合って、それぞれにバランス良く時間を割り振ればいいのだと思っていた。
実行した。
「ワタシa」が「わたしb」の様子を見ながら計画を立てる。そして、実行する。
どう考えても、このほうが有意義だろう。
あまり無理せず、1日1つでいいから、あらかじめ決めたことをやろう。
そこで私は、図書館への返却期限が迫っていた本を手に取った。
これが、まぁ!なんとビックリ。
シンクロど真ん中!!の本だった。
ウィキペディアにわかりやすくまとめられてるので、一部引用する。
インナーゲーム(inner game)とは、勝負において、競技者の外側の世界で実際に行われるアウターゲーム(outer game)に対して、競技者の心中で行われるもうひとつの勝負のこと。テニスコーチのW.ティモシー・ガルウェイ(W. Timothy Gallwey)が、レッスンを通して考案し、1974年に著作 “The Inner Game of Tennis” の中で発表した考え方。
ガルウェイは、競技者の心中で行われるインナーゲームにおいて、二人の自分がいることを見出し、それぞれセルフ1、セルフ2と命名してその性質を調べた
セルフ1
インナーゲームにおいて、すなわち心の中で、自分(セルフ2)に対して悪態をついているのがセルフ1である。セルフ1は、常にセルフ2の能力を信頼しておらず、命令を下す。そして結果に対して裁判をし、「判決」を下してセルフ2を非難をする。
セルフ2
インナーゲームにおいて、すなわち心の中で、セルフ1によって非難されている側がセルフ2である。セルフ2は無意識的あるいは潜在的な身体能力をすべて含んでおり、実際の運動機能を司っているとされる。
Σ(゚Д゚;)アラマッ
今まさにもがいている事がそのまんま本に書いてある!
セルフ1は「わたしa」。セルフ2は「わたしb」。そのものじゃないか!
しかもこれ、昔の本で、ベストセラー。
ってことは、心の中で2人の私が大喧嘩して、もういやーっ!!って人が世の中にはたくさんいるってこと!?
私が思っていた以上に、遥かに多くの人が。
(こんなフリー素材があるくらいに、メジャーな悩みだったのかー!)
鈍い私はそこでようやく、クライアントさん達にも内面の葛藤があるのだと思い至った。
わかっているのにできないのは、片付けの全体像をわかっていないからだと思っていた。
私がそうだったからだ。
うまくいかない時、視野は狭くなる。視点も固定化される。「正しいやり方」に固執する。
新しい観点から問題を眺め、思考をほぐし、必要なデータを集めると、自ずと解決への道筋が見えてくる。「効果的なやり方」にたどり着く。
そう思っていたし、今もそう思っている。
でも、これだけじゃなかったんだ。
わかっているという「ワタシa」のおごりや傲慢さは、「わたしb」を軽んじる。
「わたしb」の訴えているのに無視するという拗ねは、体の不調となって表れる。
朝と夜に手帳に向かうようになってから、ずっと体が痛んでいる。
ある日の朝。モーニングページにこう書いた。
もしかして、「わたしb」は計画を立てて毎日を過ごすことが嫌なの?
すーっと痛みが消えていくのを感じた。
さらに続けた。そして、
意識高いのが嫌なの? え? あれ? 違う?
「ワタシa」ごときにリードされたくない???
「ワタシa」ごとき!
そうか。
言葉巧みな「ワタシa」が大人で、言葉をもたない「わたしb」は子供だと思いこんでいたけれど、違ったのか。
役割が違うだけか。
「わたしb」は子供じゃない。
「今、ここ」なだけ。
「ワタシa」も大人じゃない。
「過去・未来、あの場所へ」なだけ。
これを書いた後すぐ、痛みが消えていき、朝すんなり起きられるようになった。
そういえば、クライアントさんとのセッション中、一番クライアントさんが(*゚ロ゚)ハッ!!とした表情を浮かべるのは、「わたしb」の領域の話なんだよね。
私は何かを勘違いしていたのかもしれない。
よし。
言葉をもたない「わたしb」をメインに日々を過ごし、それを「ワタシa」が言葉して残す。
そんな生活をためしてみよう。
100日チャレンジ・朝と夜の日記編、スタートです!!